居場所
転勤の多い業務の公務員だった父親の仕事の関係で、 私は、4つの小学校に通いました。やっと慣れた頃に、 また転校だったものですから、 ここが自分の学校だという感覚はほとんどありませんでした。 また転校生という目で見られることも多く、 学校に自分の居場所を見つけることができるまでは、不安だったことを覚えています。
家庭、職場、学校に 居場所があればいいのですが、 多くの人間で成り立っているのがこの社会。誰が悪いわけでもないのですが、 しばしばその社会の歪みの中に埋もれてしまい、 自分の居場所がないと感じることがあるのではないでしょうか。
聖書の中に、居場所についてのひとつの話が出てきます。その息子は、毎日の忙しい労働に嫌気が差し、ここは自分の居場所ではないと思ったのでしょう。 お父さんに自分が受け取ることができるであろう財産の分け前を要求し、そのお金をもって遠い国に出かけていきました。
そこで彼は、湯水のように財産を使い、しばらくの間、楽しい時を過ごしたのですが、放蕩三昧の結果、最後には、その日の生活にも困るようになってしまいました。 世間の風当たりが厳しい中、ついに彼は行くところがなくなりました。
しかし、そのようなその息子にも、居場所があったのです。疲れ果てた息子を、お父さんは何も咎めることなく、ありのまま受け入れました。 お父さんは息子が帰ってきてくれたことを、ただ喜んだのです。このお父さんは、「神様」で、 息子は私たち「人間」のこととして表されています。聖書は、この話を通して、 父なる神様は、 私たちがどのような状態でも、どんな失敗をしても、帰る場所を備えて待っていて下さるお方であることを教えているのです。
誰でも失敗をします。 後悔することもあるでしょう。 そんな時こそ、優しく受け止めてもらいたいと思うのですが、しかし、周りから受け入れてもらえていないと 感じることがあるのではないでしょうか。 もちろん、そのように感じるだけで、 実際には、 そうではないのです。私たちは、 多くの方々のお世話になって生きているのであり、神様のところには、私たちの居場所があるのです。
また、イエスキリストは、聖書でこのように言われました。
「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 」
この世の居場所だけではなく、生涯を終えた時、私たちの帰る場所も用意して下さっているのであれば、本当に幸いなことではないでしょうか。
居場所があり、帰る場所がある‥‥。このように、いつでも安心して帰ることができる場所について、詳しく記している書物が聖書です。
グレース神戸バプテスト教会 牧師
明日が分からなくても
幼い頃、学校で、未来を想像して、絵を描くという課題があったように記憶しております。私を含め当時の子供たちは、 未来を夢見ながら絵を描いたものでした。 ビルの間を飛ぶ車、宇宙に旅行に行く大きな宇宙船等、そこにあったものは、未来に対する確かな夢でした。
あの昭和の時代、 未来は今より確実に良くなると、 誰もがそう思っていました。 給料は上がり電化製品はもっと便利になり、道路ができ、家は広くなり、未来の生活は、いや人生はもっと楽しくなると、普通にそう思えた時代でした。 ですから、私たちにとって未来の絵を描くことは、とても簡単なことだったのではないでしょうか。
しかし、今はどうでしょうか。 人々は、未来は今より良くなると思ってはいないのです。 いやむしろ、今の生活をいかにして守るのかを考え始めたのです。未来の夢を見ることが本当に難しい時代と言えるのではないでしょうか。 明日が分からない不安な時代なのです。
しかし、明日が分からない時でも、未来の絵を描いているかどうかは、大切なことです。私たちを楽しませてくれるディズニーランドについてですが、それが完成した時、創業者の ウォルト・ディズニーは、すでに亡くなった後でした。 完成したディズニーランドを前にして、付き人がディズニー夫人に「旦那様がこれを見られたら本当に喜ばれたでしょうね」 と言うと、夫人は、こう言ったそうです。 「 主人はこの完成した様子を前から見ていました。 だから今こうしてできたのです。 」
それでは、どうすれば未来を描くことができるのでしょうか。 そのひとつは、積極的で肯定的な言葉を聞くことです。 統計によると私たちが耳にしている言葉の95%以上は、 否定的な言葉だそうです。 テレビのニュースを見ると、犯罪や経済の問題を耳にするでしょう。 実生活でも人の批判や争いの言葉が聞こえてくるのです。 そのような言葉を聞いていると未来の夢を描くことができなくなるのは当然ではないでしょうか。 しかし、聖書は、神の私たちに対する語りかけであり、私たちを励まし、私たちを積極的にする言葉で満ちあふれています。 聖書を読み、肯定的な言葉に触れ、人生が変えられて、夢を描き続けた人の数は計り知れません。
また、未来のためには、信じる確かなものを持つことが必要です。 私たちは、私たちを取り巻く周りの変化に非常に敏感ですが、実は、周りで起きている変化よりも、自分自身の内面で起きている変化の方が、はるかに重要です。 信じるものがないと、私たちの心は自由を失い、 日々 起きている否定的な出来事や 情報に振り回されるのですが、 信じるものがあると、それらから開放され本当に自由となり、 振り回されることなく、 夢を描き続けることができるのです。
信じるものをお持ちですか。 聖書に書かれている神イエスキリストは、時代を越え、文化や民族を越えて、信じられてきた信頼に足る真の神と言えるのです。 過去の歴史を振り返っても、 キリストを信じた人々が、人権や福祉に対して、自由な心で、未来を描き実現させてきました。どうしてでしょうか。 信じる確かなものがあり、現状の負の要因に心が縛られていなかったからです。 確かな信じるものを持つことで、 心を自由にすべきではないでしょうか。
最後に、未来の夢を描くためには、人生の終焉を確かにしておかなければなりません。 一般的に、 人は死とその先のことは考えたくはないものです。それはどう考えても分からないからであり、それについて具体的な夢を持つことができないからではないでしょうか。 しかし、 もし治らない突然の病に襲われても、未来の死に対してでさえ、 夢を描くことができるとしたらどうでしょうか。 聖書には、人は死んで終わりではないこと、死後に天国か地獄に行くこと天国に行くためにはどうすればいいのかが明確に記されております。
明日が分からない時代かもしれません。 しかし本当の問題は、周りが不安定だからなのではなく、私たちが、未来を描くことができなくなっていることではないでしょうか。
グレース神戸バプテスト教会 牧師